金井実行委員長からのご挨拶です。
第53回明新会総会 実行委員会 委員長
金 井 亨
皆様、第53回明新会総会実行委員長の金井亨です。
45歳になる学年が明新会総会の幹事をつとめるという不文律に則って、平成16年5月22日(土)の第53回明新会総会は、昭和52年に藤島高校を卒業した我が学年が幹事をつとめます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
それにしても、どうして45歳なのでしょうか……。
最近、文芸春秋7月号のよみがえれ「坂の上の雲」という特集を読みました。「坂の上の雲」と言えば、司馬遼太郎氏の畢生の大作、私もそれこそ眠る間を惜しんで読んだものでした。その特集で、司馬氏が次のように書いていることを知りました。「この作品は執筆時間が四年と三カ月かかった。書き終えた日の数日前に私は満四十九歳になった。執筆期間以前の準備期間が五カ年ほどあったから、私の四十代はこの作品の世界を調べたり書いたりすることで消えてしまったといってよく……」、「書き終えたときに、元来感傷を軽蔑する習慣を自分に課しているつもりでありながら、夜中の数時間ぼう然としてしまった。頭の中の夜の闇が深く遠く、その中を蒸気機関車が黒い無数の貨物の列をひきずりつつ轟々と通りすぎて行ったような感じだった。遠ざかってゆく最後尾車の赤い灯をいつまでも見ている自分をここに書くのが面映ゆくある」
なんと、羨ましい。自分も、そんな感傷に浸れる程に仕事をしてみたい、生きてみたいと心底思いました。そして、50代でも30代でもなく、40代のそれもど真中の45歳幹事学年にこめられた明新会先輩方のメッセージがなんとなく判ったような気がしました。
だけど、司馬氏もいいけど隆慶一郎氏もいいですよ。隆氏は、恩師小林秀雄氏が亡くなるまで恐ろしくて書けなかったと言われていて、61歳にして初めて「吉原御免状」を仕上げました。以後66歳で亡くなるまでに次々と大作を物し、疾風怒濤の如く駆け抜けた、その生き方、作品は実に見事なものです。ちょっと余計なことを申してしまいました。すみません。
来年の明新会総会、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。